所変われば品変わるとは、よく言ったものですね。
英語では
"So many countries, so many customs."
(国の数だけ習慣がある)
と言うそうです。
フランス語ではなんと言うのか
ダーリンに聞いて見ましたが
そういう「ことわざ」はないとのことです。
個人主義のフランス人は「人の数だけ習慣がある」
と思っているのではないでしょうか。
それぞれの国にそれぞれの礼儀作法があり
あいさつの仕方も国によって大きく違います。
日本にはお辞儀という美しいジェストがありますが
フランスでは Bise(ビズ)をします。
Bise(ビズ)とは
頬にチュッ!チュッ!とお互いキスをしあう
親しい者同士のあいさつです。
チュッ!チュッ!の数は地域によって違いますが
たいてい2回〜4回です。
Bise(ビズ)は
女性⇔女性
女性⇔男性
で行われます。
基本的には
男性⇔男性
では行なわれませんが、
父⇔息子
でする家庭もあります。
ダーリンとダーリンパパ(故人)は
Bise(ビズ)をしていました。
また、ダーリンは日本へ旅行した時
日本出発の際、見送りに出てくれた ともみ父と
Bise(ビズ)をしていました。
それを見て
「ダーリンはともみ父を実の父のように思っている」
と感じました。
ちなみに、男性⇔男性でBise(ビズ)をしていると
ホモだと思われます。
小学校低学年くらいの男の子同士が
握手してあいさつしているのを見ると
「彼らは男性としての自覚を持っているんだな」
と思います。
当初、迷うのがBise(ビズ)をするための「親しさ度」です。
フランス生活の初期は、相手の出方を見て
消極的にBise(ビズ)をしていました。
今では、「親しさ度」の基準ができたので
積極的にというか自らの判断でBises(ビズ)をしています。
私の基準は
「個人的な人間関係がある」という簡単なものです。
時には私の基準外の人に
Bise(ビズ)を求められることもありますが
その時は受け入れるようにしています。
Bise(ビズ)をしない場合は握手をします。
握手はとても便利なあいさつで
Bise(ビズ)をしたくない相手(稀にあります)には
すばやく手を差し出せば、OKです。
相手が子供の場合は
頭にチュッ!としてあげます。
たいてい、子供からのお返しはありません。
(たまに、してくれることもあります)
Bise(ビズ)は幼児の言葉で
Bisou(ビズゥ)とも言います。
最初は戸惑っていたBise(ビズ)ですが
驚くほど簡単になれます。
この感覚で日本へ行くと、Bise(ビズ)ができない
もの足りなさを感じてしまうようになります。
習慣って面白いですね。
2007年9月アーカイブ
ダーリンはフランス人ですが
朝青龍はモンゴル人です。
モンゴル人は反省できるのでは...と思う人が多いと思います。
当時ワタクシは学生だったので、外国人留学生の友達に
反省について質問してみました。
調査対象は
スペイン人、アメリカ人、ハンガリー人、韓国人です。
スペイン人とアメリカ人とハンガリー人は
反省する習慣は無いそうです。やっぱり...
韓国は、隣国で共通点も多いので
てっきり反省してると思っていましたが
「韓国ではそういう習慣はないわ」
とあっさり否定されてしまいました。
「そういえば、学校で全校生徒を校庭に一列に並ばせて
校長先生がお話をしたりしたけど
たぶん、これも日本軍の置き土産だと思うわ。
だってこれ、全然、韓国人の国民性にそぐわないんだもの」
とコメントをくれました。
私にはハングル語の知識はありませんが
中央日報などの社説(日本語)などには
反省と言う文字が出てくるので
文字は存在するのでしょう。
文字が存在するのであれば
反省という行為も存在するはずです。
しかし、韓国人の友人のコメントを信じれば
反省する習慣はないそうです。
対象者が少ない調査ではありますが
反省は世界的に見ても珍しい文化と言えましょう。
反省できない人間なんて...と思っていましたが
世界的レベルでは反省しない派が主流なんですね。
ダーリンは反省に対してこんなことを言っております。
「フランス人に限らずキリスト教の民族は
罪を背負って生まれてくることになっている。
支配者たちは、罪の恐怖を利用して国民を支配してきたけど
日本人は罪を背負って生まれていない。
神道によれば、人が生まれた時は罪もなく
生きている間に不浄を受けても、禊で浄化される。
支配者が日本人を支配しやすいように
反省という自責の念を植え付けたんじゃないのかな。」
私には反省の起源はわかりませんが
儒教の影響もあるのではないかと思っています。
そして、「和をもって尊しとなす」の精神からすれば
他人が罪人の非を裁いて罰を与えるよりも
罪人自らが自責すれば「和」が保たれるような気がします。
反省をフランス語で表現するとしたら
examan de conscience
が一番近いようです。
しかし、この言葉は
「人を殺してしまったような人が
自分の犯したことを、一生をかけて省みるような行為」
で、普通の人はしないそうです。
ダーリンもしたことがないそうです。
そしてダーリンから
「精神衛生のため、反省はしない方がいいよ!」
ですって...
価値観の違うフランス人には、反省は
必要ないようです。
朝青龍に反省を求めている相撲ファンが多いようですが
外国人である朝青龍には反省できないのではないか
と私は思っています。
ダーリンと私は仲良しですが
それでも時々けんかします。
けんかした後、たいてい私は反省をします。
あの時こんな態度をとってしまったけど
やっぱり私も悪かったな...
あれは言っちゃいけなかったな...
などと、自然に反省してしまうんですね。
ところが、ダーリンは反省なんかしていないよう...
結婚当初、反省について考えてみました。
反省といえば
小学生の時には、既にする習慣がついていました。
悪いことをした時は、反省文を書かされたり
先生に「反省しろ」と怒られたりしました。
小さな頃は強要されてしていた反省ですが
大きくなると自主的に行ってきたことに気がつきました。
私にとって
「反省する」の意味は自分の行為を省みて罪を見出し
その罪に対して、自らを咎める自責であり
「反省しろ」は、非難、糾弾を意味します。
ダーリンはけんかの後に、反省していませんが
因果関係を理解するための原因究明や
後悔をすることはあるそうです。
フランス語で反省をなんと言うかというと
たとえば、コンサイス和仏辞典を引くと
1. réflexion
2. introspection
と載っています。
1. réflexionは熟考という意味で反省とは違います。
2. introspection は「内省、内観、自己観察」と言う心理用語で
瞑想やスピリチュエルな活動で使われることが多いようです。
もちろん、反省とは意味が違います。
要するに、フランス語に反省という文字はありません!
ダーリンだけが反省しないのではなく
フランス人全員がしないのです。
たまたまテレビで見たのですが
夫婦で感動した映画です。
舞台はモンゴルのゴビ砂漠。
そこでは4世代家族が一緒に、伝統的に、仲良く
家畜を飼って暮らしています。
若いメスのらくだが初めての出産を迎えましたが
難産で、苦しみの末、白い毛をした美しい子らくだを生みました。[:嬉しい:]
しかし、若い母らくだは白毛の子らくだの育児を放棄します。[:悲しい:]
注!以降、ネタばらしです。
これからこの映画を見る方は読まない方がいいと思います。
授乳を受けられない子らくだの生命を案じた一家のおじいさんが
伝統的な音楽セラピーで母らくだの母性本能を呼び覚まそうと
遠い街の音楽の先生に手紙を書きます。
この手紙を託されたのがまだ子供の長男と次男。
この長男が頼もしい!
幼い弟の面倒をみたり、ほとんど大人のような振る舞いを見て
伝統的に生きる民族の賢明さを感じました。
手紙を受け取った音楽の先生が一家のもとにやって来て
母らくだと子らくだの前で馬頭琴を奏でます。
一家の嫁が馬頭琴にあわせて哀愁漂う歌を歌う...
音楽で母らくだが癒され、子らくだを受け入れる。[:拍手:]
この映画を鑑賞中、ダーリンは
子らくだを拒否し、足蹴りまでする母らくだに怒り
「僕だったら、母らくだを力ずくで押さえつけてでも
子らくだにミルクを飲ませてあげるのに...」
と言っていました。らくだの方が力がありそうなんですけど...
ダーリンは子供の虐待に神経質で
母らくだを許せなかったようです。
「私だったら、四方から母らくだを縛って固定して
足も固定して、蹴られないように...
そこに子らくだを連れて行ってミルクを飲ませてあげる」
夫婦で、問題の解決策を語らいながらみた映画は
初めてです。
らくだを癒せるのなら、人間も癒せそうですが...
モンゴルの伝統治療にはもっとすごいものがありそうですね。
